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「言葉」に頼る人の「孤独」とジレンマ 3/3

「孤独」とはどこから
来るのでしょう?

いつから始まるのでしょうか?

それは、「心」(心情・感覚)
感じることをやめにして、

「ビリーフ」、つまり、
「言葉」、「思考」、「願望」

自分の(人生の)中心に据えて、
生きるようになった時からです。


心理セラピスト/カウンセラー
 長谷川 貴士
です。



私たちの「心」や「愛」は

いつでも、必要な時に、
必要なことを始めます。

それは、千変万化に
変わり続ける「現実」に
合わせて、です。


私達の「ビリーフ」

つまり、信念、想い、予想、
信じ込んでいること、などとは

全く関係なく、です。

「心」はいつでも、
柔軟で、柔らかです。


固く、ぎこちないのは、
ビリーフで、信念で、
想いや願い、願望です。


「ビリーフ」、つまりは、
信念や、想い、願い、願望を
自分の中心に据えると、

転びます。


何するにせよ、動きが、
固く、ぎこちなくなって、

いっつも変わり行く、
動き続ける「現実」に、

全くフィットしなくなり、

人生において、
「場違いな存在」となります。


自分の人生のはずなのに。

すっかり居場所が無い。
どこを探しても無い。

これが、

「ビリーフ」、つまりは、
信念や、想い、願い、願望を

自分の(人生・生活・日々の)
中心に据えることの
免(まぬが)れない「結果」で、

「孤独」です。


「今」の自分
(の『心』)を含めた、

「現実」との
「つながり(フィット感)」を
失います。


   □

   
その時に、「現実」から
目を背けて、

「言葉(遊び)」
の世界に
逃げ込みます。

「言葉」=概念、イメージ、
イリュージョン、幻想・幻影、

つまりは、幻(まぼろし)、
イマジネーション(想像・妄想)の
世界へです。

一言で言うと、

「屁理屈(へりくつ)」の
世界に住む人生です。


     □


「言葉」は目に目えるモノを
指し示す道具です。

「心」のような目に目ないものを
表現する、指し示すことはできません。


古池や 蛙(かわず)飛び込む 
水の音
        松尾 芭蕉


こうやって、優れた文人は、
「心」のことを一言も書かずに、

「心」、心境、心情、情感、情趣を
表現します。


      □


ですから、「心」について、

論理的に、科学的に、固く、
考えなくても大丈夫です。


「心」についての、

過去のデータ(経験)の集積や
記憶の塊、束から、

確からしい、もっともらしいことを
拾い集めてきて、

これさえすれば
「気分が良くなる!」とか、

これだけあれば
「安心感」が生まれるとか、

「気分の良さ」や「安心感」、
つまり「心の動き」について、

その条件や、理論、方程式を
見つけ出すことに努力する
必要はありません。


見つけ出すことが
できないからです。


「気分の良さ」や「安心感」について、
いつでも再現性を持つような、

鉄板(てっぱん)な

 方法、手順、条件などは
「無い」「皆無」だからです。

そういうものは
どこにもありません。


     □


時と場合、場所に応じて、

「気分の良さ」や「安心感」は、
いつでも別の表情や
輪郭を持っています。


かつて、自分を楽しませてくれた、
場所や人との出会いも、

時間が流れた後で
再会するならば、

必ず別の印象を受取ります。
全く同じは、どこにもありません。

「あそこにさえ行ければ!」
「あの人にさえ会えれば!」
(わたしは楽しいし、安心できる。)

そう、思い込みたい、
そう信じたい、

その幻想だけが私にとって
頼みの綱なのだから。

こういうことはあるでしょう。

これを「ビリーフ」
呼んでいます。


このように
「ビリーフ」とは

私達を「生」につなぎとめる
命綱です。

ですけれど、ほんとうの本当は、
裏のウラの実情は、

「ビリーフ」
不必要な縛りで、重さです。


普段、私達は何層もの
幻想(=ビリーフ)
見つめながら、暮らしています。


      □


「ビリーフ」ではなしに、

いつでも、自分の「今」
「気が付く」ことができるなら、

何が自分を楽しませ、
安心させるのか、

それは、いつも分かります。


しかし、私達は
多くの場合、

「自分の『今』」ではなしに、

過去の「情報」を見つめ、

過去の「記憶」に溺れ、

過去の「感情」に沈んでいます。


それは、とても
もったいないことです。


いつもあれや、これや、

なんや、かんや考えたり、

心配したり、不安になったり、

あぁしよう、こうしよう、とか

予測や、推測に忙しかったり、

てんで、

「自分の『今』」を生きていません。


多分一日の内、

「自分の『今』」を生きている、

「自分の『今』」に気がついて、

何かその通りにして、

「気分の良さ」や、

自分が自分を大切にできている
「安心感」を感じているのは、

4分ぐらいでしょう。


「お昼ごはん何食べようかなぁ?」
(自分の「心の今」に訊ねる。)で 2分。


仕事帰りに寄ったコンビニで、
「今日は何買って帰ろうかなぁ?」
(自分の「心の今」に訊ねる。) で2分。

合計 4分。
おしまい。

私はかつてそうでした。

寝ても、覚めても、
頭が起きている時間は、

いつも、不安と不満と、苦しみと、
つらさ、悲しさで充満していました。

過去と未来しか見ていませんでした。


まぁ、今も似たりよったりですが(笑)


それでも、このごろは、
一日 24分ぐらいは(笑)、

「自分の『今』」
に気が付いていると思います。


ありし日、
過ぎ越した日々に
比べれば、

雲泥(うんでい)の差で、

今は、日々「気分もイイ!」し、
「安心感」もすこぶる高いです。

さて、私にこの「違い」が作れた
のはなぜでしょう??
     

     □


私たちが「心」や「愛」に
論理(ロジカル)や説明の言葉を

覆い被(かぶ)せて
しまわないのなら、

いつでも容易に「違い」を
作ることができます。


それは、

「こうだから、やっぱり
 ああだよねぇ。」

とか、

「あの人は、○○だから、
 やっぱり△△だよね!」

 とか、

しない、

ということです。


これをするならば、

「気分の良さ」も、
「安心感」

もほぼゼロになります。


いつでも、変わり行く「現実」に、
やわらかくフィットしようとする、

私達の「心の動き」が
(全く)尊重されずに、

何かつまらないレッテル貼り
(ラべリング)、

固定観念(=ビリーフ)の増築が
優先されているからです。


これをする人は、

自分の「心」より、
(おかしな)レッテル貼りの習慣を
大切にしている人です。


このような人は、例外無く、

人生につまらなさや、
不自由さを感じています。


そして、私達はいつも、

人生から「感じの良さ」や
「安心感」を奪う、

おかしなレッテル貼りの習慣を
やめたい!

こう望んでいます。


おかしなレッテル貼りの習慣を
やめられた分だけ、


「心」は何か決め付けから免れて、

「自由」や「やわらかさ」を
維持できて、


その部分で、いつでも、

「自分の『今』」に気が付く
チャンスを得ます。


     □


かつての私は
所謂(いわゆる)

強度の「思考病」で、

「名言(集)」や、
「格言(集)」が大好きな
人間でした。

「言葉」にべったりと
頼りっ切りも良いところでした。


名言・格言を信じ込む、
鵜呑みにすることも、

ある種の「レッテル貼り」です。

「名言・格言好き」が
引き起こす

長期的な作用は、

「(自己)監視」です。

自分が、その名言・格言の
ように生きているのか、
いないのか、

自分自身を
意識的にも、
無意識的にも、

「24H監視」を続けます。
チェックして、テストし続けます。



名言・格言のレッテルがべたっと
自分の「心」に貼られているわけです。


そして、

自分から自身への監視、
自分を自分で責める視線に怯え、

萎縮して、固くなります。


その結果、余裕が失われて、
寛容さや包容力を失って、

他人を責めるようになります。


「あなたのそれは理想的でも、
 名言的・格言的でもない!」

という理由から。


「自分がガマンして、忍耐して、
 名言的・格言的であろうとして、

常に理想(ユートピア)的であろうと、
我慢の子で生きているのだから、

あなたも気ままに、
楽に、自由に、好きに
生きるのでは無しに、

私と同じように理想を目指すべきだ!!

(私が正しく、理想的で、
 あなたは怠惰で、劣っている!
 あなたも理想の犠牲になりなさい!)」


これが、「余裕の無さ」で、
「屁理屈(へりくつ)」です。

(他人の)屁のように
臭くて迷惑なだけで、
影も形もないうつろな何かです。



この時に(当然に)
「孤独」が深まります。


自分の「心」から離れ、
他人をけなし、

名言・格言と言う名の
レッテルと心中です。


これがかつての私でした。

そして、また「誰か」の姿です。


     □


このことから離れる
お手伝いをしているのが、

私の仕事で、
ビリーフチェンジセラピーです。


自分の信じ込んでいる
理屈、理論、意見、

意味付け・解釈
(=レッテル貼り)から
生まれる

「自己監視の檻(おり)」
(=ビリーフ)
から

抜け出ることを
お手伝いしています。


(無意識の内にしている、)
レッテル貼りの習慣のために、

自ら作り出した「牢獄」の中で
生じる「孤独」からの脱出を

手助けしています。

「気分の良さ」や「安心感」を

再び取り戻せるように、
再びその中に入って行けるように。

このような方向性へ進んで行きたい
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by ayabelife | 2016-04-10 19:30 | ビリーフチェンジセラピー

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