自由になる生き方

ビリーフとは、固定観念(思い込み)のことを言います。

このブログで、何度も取り上げている「ビリーフ」ですが、私たちは、3才~15才ごろまでに、自分の身の回りで起きた出来事と経験で、様々な物事に関して、「ビリーフ(固定観念)」を植えつけます。

たとえば・・・

人生とは○○だ。
結婚とは○○だ。
仕事とは○○だ。
友達とは○○だ。
人間とは○○だ。
お金とは○○だ。


と言った感じです。

私の場合、
人生とは「修行」だ。
結婚とは「不幸の始まり」だ。
仕事とは「楽しむべきもの」だ。
友達とは「危険」だ。
人間とは「可能性の塊」だ。
お金とは「揉め事のもと」だ。

みたいな固定観念を、3才~15才の間に、家族や、学校の友達との関係や、経験、出来事で、観念を固定します。
まだ、世の中もあまり知らないので、例えば、人生は「修行」として、生きている人もいれば、人生を「ばら色」の様に生きている人もいるのに、自分の身の回りの出来事や経験で、モノの見方を「固定」してしまうのです。

それを「ビリーフ(固定観念)」といいます。

さて。

この、固定された観念は、いらないものもありますよね。
もう、大人になって、幼少期に植えつけたれた観念とは違った人生を歩みたい人もいます。
でも、この、固定観念に、しばられ、この固定観念を確認するかのような人生を歩んでしまうのです。



私の固定観念、特に友達とは「危険」だ・・・ですが、これは、小学校6年の時に、いじめられたことがきっかけですね。
その後も、友達は出来ますが、距離のとり方がわからなったり、近くなると、怖くなったり・・・という経験をしていました。
どうやって、手放すかというと・・・友達って、「危険」なことも、あるかもしれませんが(いじめに合った人にとっては、特に)、ほかの見方をもっと増やしていくんですね。
友達とは○○だ・・・この「○○」を、自由に発想していきます。
たとえば、
友達とは「宝」だ。
友達とは「心の通じ合う仲間」だ。
友達とは「人生に不可欠」だ。
・・・などの、ポジティブな側面を探してみます。
そして、自分の欲しい未来にふさわしいビリーフを今度はインプットしていきます。

今では、このビリーフを手放したので、人を信用できるようになりました。


ほかには、たとえば、
お金は「揉め事のもと」だ。
というビリーフ。
親が、お金のことでいつももめていたので、お金に対するネガティブなイメージしかもてなかった幼少期に植えつけたビリーフですが、
よ~く考えてみたら、お金は「揉め事のもと」にもなるけど、「豊かさをもたらすもの」であったり、「必要不可欠なもの」であったり、「生きて行くための大切な物」であったりの側面もあります。

が、幼少期の私にとっては、お金でケンカが絶えない両親を見て、「揉め事のもと」にしか捕らえられなかっただけなのです。

大人になった私は、この固定観念を捨てて、自由に発想できます。

ので、この、お金に関するビリーフも、ポジティブなものに入れ替えています。
お金は豊かさのもと・・・と。


人生とは「修行」だ。
これは、30歳の頃には、自覚していましたね~。
過酷な職場でないと、仕事をした気分にならず、わざわざ、しんどい職場を選んで、体も心も痛めつけていたのは、私の中に、「人生は修行」であって、その過酷さにいかに耐えて、自分を成長させるか・・・と、「マゾ」的発想で、人生を歩んでいました。

でも、しんどくなってきたら、楽チンに生きている人を見て、「なんかいいなぁ~」と思ったのは、素直な気持ちでした。
街での仕事をやめて、吉水に来た時は、この「人生は修行だ」のビリーフを手放し、「人生は楽しむものだ」というビリーフに入替ました。

人生とは、修行という側面もあるかもしれませんが、楽しむものであったり、味わうものであったり、色んな側面があるのに、「修行だ」と観念を固定してしまうことが、自由さを失うのです。


唯一、ポジティブなビリーフを持っていたのが、
人間とは「可能性の塊」だ。
というビリーフですね~。
これは、両親が、干渉せずに、ほったらかしで育ててくれたおかげかもしれません。
「こうなりなさい」とか「こんな人生を歩みなさい」とか、一切言われず、本当に自由に生きさせてもらいました。
そのおかげで、人間の可能性を今でも興味ありますし、自分の可能性にもチャレンジし続けている人生でもあります。



長々と書きましたが、何が言いたいのかというと、
「○○とは○○だ」と、観念を固定しているけれど、それって、本当ですか?と疑ってみてほしいのです。
ほかの側面を探してみて欲しいのです。
色んな側面が見え始めた時、自分が観念を固定して、それによって、がんじがらめになって、自由度を失っているかもしれません。

本当は、「こうである」という固定されたものはないのかも知れない・・・って、そんな目線で、人生を、世の中を、自分を、見てみて欲しいのです。



酵素断食を続けていると、体が緩みますから、神経も緩み(リラックスする)、脳みその思い込みも緩んできて、モノの見方が自由になります。

これが、悟りと言われるものかもしれません。


心が自由になれば、苦しみがなくなります。

心が自由になれば、自由なものが自分に返ってきます。
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by ayabelife | 2013-01-06 11:21

心理カウンセラーのホ・オポノポノ研究ブログ


by 長谷川貴士(心理カウンセラー)