ウニヒピリと『空』 Ho`o ponopono < ホ・オポノポノ > ・ 19

『 空 』 について、さっぱり分かっていなかったので、
少し勉強した 長谷川 貴士 です。


『 空 』 について、ちょびっと勉強したら、

おどろくことがありました。


 なんと、


 『 空 』  = <  ウニヒピリ + メモリー  > 



 だったのです。 


 ホ・オポノポノ 好きのわたしは仰天!!しました。



まずは、 仏教 で考える 『 空 』 です。 


 仏教の宗派のひとつである、法相宗 の 教義に 「唯識所変」 というものがあります。


 「 唯識所変 」 = ただ意識だけがある。 実在すると思うのは妄想。

              わたしたちの意識が、すべての現実を作り出しているにすぎない。

 という教義、考え方です。


  なんとなく、『 空 』 っぽい考え方ですね。


  また、仏教では、

 意識の奥、無意識 の さらに奥 の 奥にある 我執 (がしゅう=わたしが大切) が  

 煩悩 を生むとします。

 

  我執 は  末那識 まなしき から生じます。

 末那識 まなしきは 、阿頼耶識 あらやしき から生じます。

 

  我執 に基づいた、現実の人間の行為、思い の痕跡 は 薫習 くんじゅう して、

 無意識に蓄積されて、 種子(しゅうじ) が できるとします。


  その 種子(しゅうじ)は 阿頼耶識あらやしき に蓄積して、

 現実に影響を与える、と考えます。


 ややこしいーですね(汗)


 まとめると、こんな感じです。



  阿頼耶識 あらやしき  → 末那識 まなしき → 我執 → 煩悩 → 無意識 ↓

  → 意識 → 現実の行動・思い → 薫習 くんじゅう → 種子 しゅうじ ↓


→ 阿頼耶識あらやしき → 末那識 まなしき → 我執 → 煩悩 → 無意識 ↓

 → 意識 → 現実の行動・思い → 薫習 くんじゅう → 種子 しゅうじ ↓

 → 阿頼耶識あらやしき → ・・・・・
 

 このような、無限のスパイラルになっています。


   この、スパイラルも 原因が結果を生み、その結果が原因となりを


 無限に繰り返す、原因なのか、結果なのか定まらないことから、『 空 』 と呼ばれます。


 「般若心経」 の 「 色即是空 空即是色 」 のことです。

 色 = 結果、現実 、  空 = 原因、阿頼耶識あらやしき  の意です。



 それでは、 仏教で考える、『 空 』 とは 実際にはどんなことか??  



 仏教の 『 空 』 理論は、 ナーガールジュナ(龍樹)の中観理論によって

 飛躍発展したとされます。


 ということは、お釈迦さま・ブッタ の考えではないということです。

 お釈迦さまではなく、ナーガールジュナ(龍樹) の 考えた理論ということです。
 


 それは、こんな例えで説明されます。


 <例え> 母と子 


 母がいなければ子はいない

 しかし、子 を生まなければ 母ではない  

 

 だから、 独立した 母、独立した 子 と言う存在はない。
 

 母がいなければ、子はいない

 子がいなければ母もいない

 だから、決まった存在はない。

 すべてがあやふや、『 空 』なんだ。

 
     っというわけです。


     納得できるでしょうか???



   もう少し、単純に『 空 』 言うと、

 カタチの無い、因縁(いんねん) によって 現実が生まれる となります。 

  『 因 』 とは 動機 のことです。 

  『 縁  』 とは 材料  のことです。



 例えば、 おみそ汁 の 因縁 です


 因 ・・・ おみそ汁が飲みたい という思いがある人

 縁 ・・・ 味噌 ・ 水 ・ 豆腐 ・ 火 ・ 鍋 ・ お椀 ・ などなど


 この 因縁 が揃って おみそ汁 ができますね。


 ですから、

 味噌 ・ 水 ・ 豆腐 ・ 火 ・ 鍋 ・ お椀 ・ などなど が

 あるだけでは、揃うだけでは 、みそ汁 ではない と考えます。

 
 みそ汁 が 在る ためには


 味噌 ・ 水 ・ 豆腐 ・ 火 ・ 鍋 ・ お椀 ・ などなど が

 在るだけでなく、揃うだけでなく、 

 お互いに縁があってくっつかなければいけない、
 


 「縁」あった材料たちが、 「因」という形ないもの 

 
 その、みそ汁を飲みたいという思い、動機に

 
 よって結ばれなければいけない。


     だから、


 みそ汁 とは、 形ある、 

 味噌 ・ 水 ・ 豆腐 ・ 火 ・ 鍋 ・ お椀 ・ などなど

 の ただの 集合体ではない。


 みそ汁とは、 「縁」 であり、 「因(=動機)」 という形がないものなんだ、


 形がないもの、『 空 』 なんだ。

 
 だから、 みそ汁 は 『 空 』 だ。


 みそ汁 なんてものはない、 ただ、 因縁 だけがあるんだ。

 
  『 空 』 なんだ。 


    そーです。


  どうでしょうか?



 ぼくは、こういう屁理屈は苦手です。



 一休さんが、「このはし(橋)渡るべからず」 の立て札を見て、

 橋の真ん中をずけずけ進んで、とがめられると、


 「わたしは、端(はし)を渡っていません。真ん中を渡っています。」


 と 屁理屈をこねたのと、同じものを感じます。


 一休さんのとんちも、笑い話ならいいでしょうが、

 真顔で言われると困ります(苦笑)


 目の前に、湯気が立って、おいしそうな豆腐の味噌汁が

 お椀に入ってあるのに、それは 『 空 』 だ、何もないんだ、


 っと言われてみても、


 ぼくは苦笑しながら、美味しく、みそ汁を飲むしかありません。


 昔、1000年も、2000年も前は、退屈しのぎに、

 こういう屁理屈 が好まれた、

 こういう屁理屈を考えられることがステキ という価値観だったようです。


    
     まぁ、それが、人類の歴史の一場面ですね。



 さて、前置きがとーっても長くなりましたが、

 

   ウニヒピリと 『 空 』 について です。


 仏教 の 『 空 』 の枠組み に当てはめると、

 ウニヒピリ = 因

 メモリー  = 縁 

  となります。 


 ホ・オポノポノ の 考え方 では、


 わたし が 体験 する 現実  は

 ウニヒピリ  が、 クリーニングしてほしいと望んだ(動機) = 因、 

 メモリー = 縁 が

 再生された結果 とします。


  なので、


 「人生 とは、 ただ、 クリーニングするべき メモリー なんですよ」


 それ以外の何物でもないんです、


 人生 は ただ、メモリー  


 人生とは、 ただの 記憶の再生 、


 実体はあるようで、ないんです、 


 あなたは、ほんとうは 光 なんです、


あなたが体験している現実は、


ウニヒピリ(因)が選んだ 、メモリー(縁)なんですよ、

( 現実 = 因縁だけがある = 『 空 』 )

 
    これが


 ホ・オポノポノ の 考え方 です。

     
  この、仏教 で考える 『 空 』 とは 別に、
 

 現実をクリーニングして、、メモリーを消去することで、空白 ができ、

 インスピレーションが差し込むこと、

     この状況を

 ヒューレン博士 は、お釈迦様の説かれた 『 空 』 と例えます。

 ※お釈迦様の 考え と、 後世の人が、なにかと付けくわえた 仏教 は
   別物なのですね。


    『 空 』 と言っても実に様々ですね。


  結局、どれもこれも メモリー です。

   ホ・オポノポノ フリークとしては、

 クリーニングして、ウニヒピリ を楽にしてあげたいですね。



=============================

クリーニング を 体得して、理解を超えた平和な人生を生きてみたい!


 そんな方はぜひ、お越しください。


 どしどし質問もお受け付けします。


クリーニングプログラム ←クリックどうぞ
 
【 お知らせ 】
  2014年4月中旬開店予定
 宿泊滞在型のセラピールーム すずなり京都 のHP ←クリック

[PR]
by ayabelife | 2013-09-10 19:30 | ホ・オポノポノ

心理カウンセラー による ホ・オポノポノ の 実践&研究 ブログ


by 長谷川貴士(心理カウンセラー)