すべて自分の責任? Ho`o ponopono < ホ・オポノポノ > ・25

 すべてがわたしの責任。

これは、ホ・オポノポノの中核な考え方です。


 心理セラピスト・長谷川 貴士です。


目の前や、世の中に起きているすべてのことの責任がわたしにある。


さて、それは実際にはどういうことなのでしょうか?


例えば、今日、電車が遅延したり、事故による渋滞に巻き込まれたりして、

何かに遅刻したとします。それはすべて自分の責任ということです。


このことなら、責任感の強い方には納得感があるかもしれません。

そうだな、用心していなかった、もしくは、予測しきれなかった自分のせいだと。


次に、アフリカのある国では内戦が激しくなり、家を失った何百万人もの
難民が満足に水さえない苦境に陥っている、そのニュースを見ました。

それも、すべてわたしの責 任 です。


このことは、どうでしょうか?納得することができますか?

ホ・オポノポノのルールがそうなのだから、そう思うより仕方ないなぁ。

そう、考えていらっしゃる方もあるかも知れません。


 実は、ここになんとなくある違和感は、正しいものです。


 ホ・オポノポノでは、すべてがあなたの責任 = あなたのせいだ、あなたが原因だ


 とは考えていません。


ホ・オポノポノで考えている、

わたしにある 責 任 とは、ただ、クリーニングを始めること。

ただ、それだけで全てです。


 ですから、ホ・オポノポノで言う、すべてがあなたの責任というのは、

 あなたが出会う全ての出来事に対して、あなたは、ただ、クリーニングを始める責任がある。


そのことなのです。

決して、すべてがわたしの責任だから、他人のせいにしないで、自分のせいにしなければならない、

ということではないのです。


まずもって、ホ・オポノポノでは、善悪を決め付けることはメモリーです。


ですから、自分が悪いとか、誰かが悪いと決めた瞬間にメモリーが再生されているか、

メモリーを増やしてしまっていることになります。



ほんとうには、ホ・オポノポノは、心の自由と平和に向かう考え方なのですが、

全部自分の責任、ずべて自分のせい、では、罪悪感に縛れてしまいます。

それでは、いけません。罪悪感を感じ続けて、自分を責め続けることで、

行動の代用にしてしまい、現実から逃げることで、何も良いことが成されないこともあります。

罪を得てしまった時には、ありのままに認め、そして償います。



そのような罪悪感と言うメモリーを増やしてしまうようなホ・オポノポノに

なってしまう可能性があるのは、


ホ・オポノポノ が ハワイ からの輸入思想だからです。

翻訳学問と呼んでも良いかも知れません。


端的に言うと、英語から日本語に翻訳された時に、

英語の原文(単語)にあるニュアンスと、訳に当てられた日本語のニュアンスに

差異がある、乖離がある、ピッタリくる日本語が存在しない、ということです。


これは、すべてのモノゴトに当てはまることで、

たとえば、英語の GOD ・ ゴッド の日本語訳に 神、神様 と当てる時があります。


しかし、日本の神様というのは、八百万(やお・よろず)の神様のニュアンスであり、

また、もともとは 祟りの脅威があり、それを敬い奉ることで鎮めなければならないことを

意味する存在でした。


それは、英語圏のGOD、創造主、唯一絶対、すべての支配者たる神とは全く違います。


日本に数多ある神社にそれぞろに神様が宿るなんてことは、GODにしてみれば、全くあり得ない話です。

「それは、神(GOD)ではない。」と言われてしまいます。



それと、同じようなことが、ホ・オポノポノでは、 責 任 、

つまり、英語の responsibility について起きています。


英語のresponsibility.は、責任と訳すことが多いですが、

原意は、反応出来る能力を持つ人 ということなので、

 責 任 と訳すよりは、

当事者、担当、役割の方が、訳として近い場合もあります。

(そう、海外で生活されていたことのあるセラピストの方から伺いました。)


つまり、

「自分の責任」 → 「自分が当事者、自分の担当、自分の役割」

などと訳しても良い時があります。


そして、日本語側の事情としては、責 任 という言葉には、

私の落度、失敗の意味が含意されることが多く、そのことから場面によっては、

やや responsibility の訳として不適当なところがあります。


このことから、

すべてはわたしの 責 任 は、 

→ すべてにおいて、わたしが(クリーニングを始める)当事者です。

と言い換えた方が妥当なように感じています。




通例の4つの言葉の「ごめんなさい」「ゆるしてください」も同様です。


これは、現実の誰かに、何かに、謝ったり、許しを乞うたりしているわけではありません。


ホ・オポノポノでは、それは、ただ、ウニヒピリへの声掛けとしてなされます。

自分の内なる子どもに対しての声掛けなのです。

自分の外の出来事、現実とは関係のない言葉です。



これまで、クリーニングを始めることをしてこなかったこと、

そればかりか、逆に、メモリーを増やしてしまう、決め付けや思い込みを重ねてきて

しまったことに対して、

ウニヒピリに、「ごめんなさい」「ゆるしてください」と声をかけます。

それが、ホ・オポノポノの仕組みの始まりであり、スタート、開幕なのです。



現実の誰かや、何かに、謙虚さを示すことや、謝罪すること、反省を示すこととは全く無関係なのです。



「ごめんなさい」「ゆるしてください」は、ホ・オポノポノの仕組みの文脈、脈絡のなかでのみの

使われ方をしているわけです。


普段使い、日常使いの 「ごめんなさい」 「ゆるしてください」 の意味は全くない、

そう思って頂いた方が、少し極端ではありますが、分かり易いと思います。


いわゆる、四つの言葉(ありがとう、あいしています、ごめんない、ゆるしてください)を、
感情を込めずに言っても良い、という理由もそこにあります。


ホ・オポノポノの仕組みの中での「ごめんなさい」 「ゆるしてください」は、

ウニヒピリとセットだと、ウニヒピリにだけ使われる言葉だと、そう考えて頂ければ

すっきりすると思います。



ですから、ホ・オポノポノをするときに、、

「ごめんなさい」 「ゆるしてください」を使われる時には、必ず、

ウニヒピリに語りかけているのだと思ってください。


もし、そうでなければ、普段使い、日常使いの「ごめんなさい」 「ゆるしてください」の中にある

謝罪、罪悪感、自責の念、などのネガティブな概念が自分の内に立ち上り、

罪の意識と言う新たなメモリーとなって、ウニヒピリをさらに苦しめる結果になりかねません。


「わたしは何も知らない」のです。自分が悪をなしたのか、善をなしたのか。

現実に何が起きるにせよ、それはメモリーです。記憶の再生です。

すでに成り終えた出来事の再来なのです。

私たちの役割=責任分担は、ただ、クリーニングを始めると決めることだけ。


それが、ホ・オポノポノを始める、ホ・オポノポノに取組む、ホ・オポノポノとともに生きるということです。


それ以外に何かを判断したり、決め付けることは、僭越であり、越権行為であり、出しゃばりなのです。


それが、ホ・オポノポノという考え方です。


ホ・オポノポノを正確に実践することで得られる成果は、ほんとうにパワフルです。


それが、世界中でホ・オポノポノが実践され、親しまれている理由だと思います。


 ただ、クリーニングを始める。わたしは何も知らない。


たった、この一行がホ・オポノポノの全てです。


とてもシンプルかつ、パワフル。


ホ・オポノポノ、おすすめしています。

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by ayabelife | 2014-07-03 19:30 | ホ・オポノポノ

心理カウンセラー による ホ・オポノポノ の 実践&研究 ブログ


by 長谷川貴士(心理カウンセラー)