親の期待に応え続ける

「何に付け、母親や父親にどう思われるか、
 いつも気にしてまうんです。 そして、
 気が付けば、自分の好みや思いより、
 その想像の中の母親や父親の意見を
 いつも優先させてしまっています。
 自分がないんです。」

このような悩みを伺うことも少なくありません。


心理セラピスト/カウンセラー
 長谷川 貴士
です。


私は、小学校2,3年生まで、

学校の成績は良くも悪くもなかったです。

可も無く、不可も無く。


勉強の出来が悪くて怒られていたことも、
出来がよくて褒められたことも無かった?ような感じです。

クラスに30人いたら、14~17番目ぐらい。


学期末に通信簿をどきどきしながらもらって自分でも、

そのぱっとしない、平々凡々な感じに「まぁこんなもんか」ぐらいに

思っていたことは記憶にあります。

「自慢も出来なければ、まぁ叱られることもない。」

そして、通知表を見せたときの親の反応も、まぁそんな感じだったと

おぼろげながら覚えています。無難さやつまらなさ。



小学校4年生から、野球部に入ったのですが、

友達がこぞって入ったから、遅ればせながら自分も入った。

そんな感じでした。特に思い入れがなかったです。


そんなのなんで、練習も何度かサボって行かなかったりしていました。


ですから、4年生の秋頃(?)に4年生チームの初試合があった様に思うのですが、

その時は補欠でした。


小学生ですから7回制で、その5回からの途中出場だったと思います。

レギュラーでなかったことに、特に悔しいとか、おかしい、納得いかない、とかなかったです。


なぜだか、そういうこと(野球?ポジション争い?)に興味が無かったようです。


レギュラーとか、補欠(控え)とかがあることもよく分かっていませんでした。


まだ、10歳だったのと(?)、それまでは遊びでする、野球にせよ、サッカーにせよ、

缶けり、雪合戦、なんにせよ、「控え」なんて事がなく、常に全員同時参加だったからか。


まぁ、とにかく、補欠で、控えの選手だろうと何も気にならなかった事だけは覚えています。


 しかし、

その試合に応援に来てくれていた、父親はしっかり気にしていたのです(笑)


家に帰ってから、「補欠かぁ、もっと頑張らなくちゃだめですねぇ。」


と、どこか怒りながら、どこかがっかりしながら、少し冗談めいて言われたような。



そのときに、初めて知ったようです。

「補欠はダメ。レギュラーはいい。」

 
 つまり、

「補欠は、父親をがっかりさせる。この状態を長く続ければその内怒られそうだ。」

ということを。


それから、それまで以上に野球の練習を頑張ったかどうかは

記憶が定かではありませんが、


次の試合からはずっとレギュラーでした。一番レフト。

チームの中では、誰よりも元気で、声が出ていて、まじめな頑張り屋という評価がありました。


しかし、意識的にどうこうした記憶、何か考えを改めた記憶は全くありません。



さて、小学校5,6年生になると、勉強の成績も良くなります。

小学校6年生の頃は、全教科で、多分ほぼ全テスト100点だったと思います。

いまでも覚えていますが、問題をさっと読んだだけで、

答えが瞬間的に分かった記憶があります。


ですから、例えば、40分の試験時間があっても、

20分までには回答し終えていたと思います。


通知表の成績もクラスで1~3番になっていました。


すると、親も、祖父も喜んでいるようでした。


そんなにハッキリと褒められたり、喜ばれた感じも無いですが、

父や祖父が満足そうな感じは覚えています。


そのあと、中学校になると、数学や、英語がからっきしダメで、不得意で、

成績も学年で真ん中くらい、また可もなく不可も無くに戻りました(笑)


むしろ、数学と英語が悲惨な点数で、苦しんだことが記憶にあります。

それは高校に入るとさらにそうで、落第しかけました(苦笑)。


だから、今もって、テスト、特にペーパーテストが嫌い、憎い、

世の中から消えてなくなればいい!!と思っています。


私、一人がそう念じても何がどうなることもないでしょうが。


            □


さて、小学校5,6年生の時の、学業成績、野球のポジション争いでの

私の躍進です。



どちらも意識的に頑張った記憶はまるでありません。

無意識でした。気が付けば、そうなっていました。


その時に11、12歳のタカシ少年(私)に何が起きていたのか?



心理セラピストの目でそれを見て、自問する時、浮かんでくる答えは、


 「せめても、そのことで親に喜んでもらいたかった」です。



11、12歳くらいのころ、親や、祖父が喜んだり、楽しそうにしていたりする記憶が

まるでありません。あの頃は良かった的な感じもありません。


何があったかも、もう、あまり覚えていない感じです。

つねにぼやーっとしていたような感じです。

一人でファミンコンばかりしていたでしょうか?そんな気がします。


そんな印象の中で、自分にせめてもできることは、

勉強や、部活動の出来栄えで、親や祖父を一時満足させ、安心させること。


たとえ、それができたとしても、何の足しになるかっ、ぐらいな感じでありましたが。


他に子供の私に出来ることも無かったので。


     □



私に限らず、すべての子どもがおおむねそんな感じなのを

心理セラピーの現場でいつも見て来ました。


親が抱える何かストレスのようなものを感じ取っては、

子どもは、淋しさや、不安、悲しさ、怒り、怖さ、や何か、

そんなものをみんな飲みこみガマンします。



その親もまた、そのような子ども時代だったでしょうし、

その親の親、祖父もまた、そのような子ども時代だったでしょう。



それが、人間の子ども時代というもので、人間らしさであり、普通、ノーマルなことです。


別の言い方をすれば、人間の家族には、無意識の思いやりや、愛が

心の底を流れているのです。

ですから、表面上は時に憎み合ったり、いさかい合いもします。


しかし、その人生を貫く行動や選択は、無意識の愛や思いやりからします。


たとえそれが、自分の意思に反しているとしても。

パートナーを選ぶ時に、いつも、

「この人なら母親・父親が気に入ってくれるだろう、安心するだろう」という基準で選んでしまい、
 
 自分の好きな気持ちがちっとも動かない方。


母親が憎くて、憎くて仕方が無いのに、結婚してまでも夫に実家に入ってもらい、

夫婦ともに日々、母親からの小言に苦しんでいるのに、なぜか実家を出れない方。



父親が憎くて、嫌いで離れたたかったはずなのに、なぜか家業を継いで、

しかし、夜な夜な深夜、朝まで遊び歩いて、まじめに仕事に打ち込むことが出来ず、

心身、境遇ともにぼろぼろになってしまった方。



それが、自分より、親、家族を優先する子どもの愛がさせる行動です。



それが、いつの世も、人間が取る行動であり、

その行動を起こさせる原因不明の(無意識の)衝動です。


その衝動の無力化が、心理セラピーの出来ることです。

もつれた愛から解放されて、自由な愛で生きるとき、

私たちの人生は、ほんとうに充足する方向に向きます。


そのお手伝いをビリーフチェンジセラピーの手法でもって、

いつもさせて頂いています。

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by ayabelife | 2014-12-21 19:30 | 家族(親子)関係

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by 長谷川貴士(心理カウンセラー)