失敗、成功を決めるのは自分だけ

あるものごとが失敗か、成功か。

それを決めることが出来るのは、ただ、自分だけです。


心理セラピスト/カウンセラー
 長谷川 貴士
です。



例えばですね、わたしは、就職の採用試験に、26、27回落ちています。


そのうち、転職の採用試験でも2度落ちていますし、
就職した先にだまされて、勝手に別の会社に就職させられていたことまであります(笑)

しかし、まぁ、今となっては結果オーライです。



むしろ、そのことが無ければ、今の私は無く、

例えば、転職の採用試験でいいところまで進んで落ちた先に、
もし就職していたならばと考えると、なんだか少し暗澹とした思いになります。


何か、転職すると決意した、暗澹としていた時期が、その先も続いていたように思えるのです。


1社目の転職を決めた時には、ドライマウス(口がからからになって、
舌が張り付いて話しことが出来ない惨めな有り様。)になるくらい、

イヤな感じだったので、なんだか、くらーい、逃げる様な思いでの転職活動でした。

そして、転職候補先の採用試験に落ちた時に感じた、あの暗澹たる思い。


ドライマウスになるような、不適応な会社を選んだこと、
実家の秋田に帰らずに、東京で就職したこと、通勤時間が1時間30分も掛って、
なおかつ満員電車で。そして転職活動に失敗したこと。


これは見ようによっては、人生の失敗ですね(苦笑)


また、よく、話も詰めづに、雇用契約書も交わさず、その就職した先にまんまとだまされて、

勝手に別の会社に就職させられていたことも、うかつだったと言えば、うかつで、

人生の失敗と言えば、失敗でしょう。



ところが、私は、それられの就職や仕事選びということで、
「失敗した」と感じたことがありません。


他のことなでなら、いくらでもあります(笑)


しかし、こと、就職、人生の針路については、決断したことで、「失敗した」と思ったことがありません。



やってみるまで、何が起こるかは分かりません。


自分がそんなにも何もかもうまくやれるとも、何かを知っているとも思っていません。


ですから、例えトラブルのようなことが起きても、


これまで、経験したこと無い、新しいことが人生に起きている、


そういう感じがします。もちろんトラブルには、困ったな、イヤだなとも思います。


しかし、人生の針路について、「失敗したな」とは思いません。



出かけた先に忘れものをして、失敗したぁ~とかはしょっちゅうですが(笑)



就職先がブラックな会社だったり、就職詐欺にあったりしたとしても、

それぐらいのことはあるだろうなぁとどこかで感じています。なんせ、人生なんですから。



まぁ、この私の例が、良い事例だったかどうかはさておき、


このように、ある出来事が失敗だったのか、成功だったのかは、

その人の心の持ち様だけが決めることができます。


私以外の誰かが決めるわけでも、決めることもできません。



例えば、誰かが、「あれは計画通りいかなった、目標を達成しなかった、だから失敗だった」

と言ったとして、それは、その言った人にとって、そのことが失敗だったと感じている、

ということに過ぎません。


それを、あなたは必ずしも受取る必要もなければ、共有する必要もありません。


あの人の心の中では、この出来ごとは失敗だったと評価、判定をしているのだな。


と、正しく、自分以外の人の考えは、自分以外のその人のところの元に留めておくことが、

その人も、自分も平等に尊重することです。


たとえ、誰かが失敗と判定した出来事でも、あなたが、


「あの出来事は計画通りでもなく、目標も達成することは無かった、だけど、
 
 あの出来事からえられた経験は、私に新たな視点と考えの源泉になるし、
 
 私の蓄えとなった、財産のように感じられる。」


そう、思うのなら、それは失敗と判定する必要は無く、

ただ、その出来事を経験した。そういうことなのです。



 「失敗が怖くて、行動が出来ない」


こう思われたり、言われたりされる方々がいらっしゃいます。

実際には、その『失敗』と言う、確かなものは、この世の中の現実にはありません。


私が、それを失敗と判定する時、それが、私にとって失敗となるだけなのです。

ですから、失敗というのは、


単なる自分の中で起きている、外の現実に対しての意味付けなのです。


長い目で見れば、何が成功で、何が失敗であったかを、


ある時点で判定できる人は果たしているでしょうか?


例えば、

旅先で置き忘れて、失くしたものの代わりに、

さらに、自分をときめかせる代わりものを見つけて、一生の喜びとなる。


そのときに、何が失敗で、何が成功であったか。だれが分かるのでしょう。


そのようなことがあるときに、ある出来事を、

 「失敗であった」 とことさらに貶(おとし)める

必要がどこにあるのでしょうか?そのことの良さはなんでしょうか?



 反省して、注意深くなる?そうかも知れません。


しかし、反省、振り返り、や、そのできごとから学ぶことは、

そのことを「失敗」だと決め付けて貶め無くても十分に出来ることです。



そうだとすれば、「失敗だ」と決め付けることで、

自分は失敗者、これまでも、これからも。



というような思いをなぜ得る必要があるのでしょうか?

その不思議さ、不自然さに無意識の思い込みであるビリーフが関わっています。

ビリーフ、すなわち、私は失敗者だ、という私の心の中のストーリーです。


自分を低く置くことで、家族の誰かを助けることになるだろうという思いが、

無意識の内にある方は珍しいことではありません。


例えば、我慢ばかりのお母さんがかわいそうだから、

私も、人生を失敗することで、我慢の多い生き方をします。


不器用で上手に生きれなったお父さんがかわいそうだから、

私も人生を失敗することで、あなたの満足でない境遇に私も合わせます。


このようなことを、子どもの頃に、無意識の内に決められている方が

珍しくないということです。


このように、無意識に決められていることをビリーフと呼び、

そのようなビリーフある時、人生で予期せぬことが起きると、

「私は人生に失敗した」と、

ことさらに、自分を自分の人生を貶(おとし)める評価、判定をするでしょう。


そして、子どもの頃に、母親や父親に感じた不憫な感じに

人生を通して寄り添い続けようとするのです。


そのような子どもの純真な愛をセラピーを通して度々見て来ました。


いつもその愛の深さ、純真さに胸が詰まる思いがします。


自分の人生が惨めになることを少しも厭わずに、

親を家族を献身的に愛する姿に胸を打たれるのです。


その事実にクライアン様自身が気付いてくださることが、癒しであり、

胸の奥にあったわだかまり、執着からの解放となります。


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